燕市 〈柄沢ヤスリ〉

金属洋食器の産地として有名な燕市で、ヤスリ専門メーカーとして80年の歴史を持つ〈柄沢ヤスリ〉。金属加工に使われる工業用ヤスリと対をなす同社の看板商品が「爪ヤスリ」です。職人が一本ずつ丹精込めて作るヤスリは、爪の曲線をしっかりと捉えて削るため、角の取れたなめらかな仕上がりになります。

出来栄えを左右する「目立て」

工場内に絶え間なく響く金属音。ヤスリの生命線である「目立て」の機械から発せられています。目立てとは、ヤスリの表面に「目」を刻んでいく工程のこと。ミシンのような機械を使って一本ずつ職人の手で進められていく目立ては、まさにヤスリに魂を吹き込むような作業です。

〈柄沢ヤスリ〉の製品は、遥かイタリアのクレモナでバイオリン職人たちにも愛用されています

ひときわ作業に没頭するのは、96歳の岡部キンさん。この道60年以上、もっともベテランの職人です。

集中している岡部さんに突然話しかけると驚かせてしまうため、遠くから声をかけるのが社内のルール

単純作業に見えるのですが、実は両手両足を駆使する複雑な仕事です。左手でタガネ(ヤスリを目立てる刃物)の高さを調節しながら、右手ではさらに微調整。左足のペダルで台の固定具を操り、右足のペダルで機械の動きを制御します。それらをすべて、手の感覚と目視だけでコントロールするのです。

左足のペダルは、重りを使って力加減を微調整
左手は調節用のレバーに添えられています

工場には全自動の目立て機もありますが、手作業は「目」の深さが不揃いなことが特徴。代表取締役の柄沢良子さんは「刃の高さが一定ではないので、それが引っかかりを生み、爪にフィットします」と、その利点を教えてくれました。

ヤスリを生み出す技術の数々

「90代の現役職人がいるヤスリ工場」として紹介されることが多い〈柄沢ヤスリ〉ですが、技術者は岡部さんだけではありません。

こちらは製造工程の中で歪んだ金属をまっすぐに矯正する作業。

上下のローラーで伸ばされて、金属が矯正されます

こちらは全自動の機械を使った、目立ての作業。

作業を担当していた方は、まだ入社2カ月なんだとか。すばやい手つきに驚きました

そして、こちらは「焼き入れ」の作業。

強度が求められる工業用ヤスリは、「焼き入れ」で金属を硬くして仕上げます

気づかなかった宝物

ヤスリは燕市の伝統産業のひとつ。明治の頃は400軒以上の工場がありましたが、現在は3社のみとなりました。〈柄沢ヤスリ〉の創業は昭和14年。当初は工業用の鉄工ヤスリや組ヤスリが主力製品でしたが、先代社長が戦後の東京で小さなヤスリの需要が高まっていることに着目し、様々な用途のヤスリを開発。そのことが後に重要なターニングポイントとなります。

目立ての機械は創業当時から使われているもの

2010年に現社長の柄沢さんは家業を継ぐために高校教師から経営者へと転身。リーマンショックで仕事が減少する中、倉庫に眠っていた爪ヤスリをおみやげ用に販売して人気となったことをきっかけに新商品の開発に乗り出します。市の補助金事業にも採択され、爪ヤスリの「シャイニー」シリーズが誕生しました。マーケティング会社のアドバイスを受けて、プレスリリースに岡部さんの写真を載せると、テレビ局や新聞社から次々に取材依頼が舞い込みました。

岡部さんたちが目立てをした爪ヤスリ

「本当はプレスリリースを出すのも反対していました。こんな零細企業が相手にされるわけがないって。すると予想に反して、90代の岡部さんに注目が集まった。びっくりしました。だって、私たちにとっては彼女がいるのが当たり前なんですから」

さまざまなメディアで紹介され、〈柄沢ヤスリ〉の知名度はまたたく間に全国区になりました。高品質な爪ヤスリを形にする技術力、岡部さんというベテラン職人の存在。今まで誰も気づかなかった宝物に、ようやく光が当たったのでした。

「以前は職人の半分以上を60代が占めたこともありましたが、会社が有名になったおかげで若い人が入社してくれるようになりました」と柄沢さんは笑顔を見せます。

爪ヤスリを必要とする人々へ

「爪切り付属のヤスリを使ったことはあっても、ヤスリ専門メーカーの爪ヤスリを使ったことがある人はほとんどいないのではないでしょうか」と、NIIGATA越品バイヤーの長谷川雅史は柄沢ヤスリの独自性を分析します。

「爪が弱く、爪切りを使うと割れてしまうと話されていたお客さまは、『こんなに良いヤスリがあるなんて』と驚いていました。店頭で初めて〈柄沢ヤスリ〉さんを知ったそうです。」

人間工学に基づき、爪の曲線にあわせてカーブがつけられた爪ヤスリ

柄沢さんは「以前の私たちは、製品を作るだけで誰がどんな風に使っているかを知らなかった。今は店頭に立つこともあり、『よく削れる』とか『美しい』と言ってもらえる。それがうれしい」と語ります。自分たちが提供する価値を再発見することができたそうです。

医療や介護の現場での爪ケアを目的に開発された「初爪(はつめ)」

時代変化のうねりの中で、ヤスリという一つの道を突き進んできた〈柄沢ヤスリ〉だから開くことができた新たな扉。爪ヤスリのヒットで、今までヤスリ専門メーカーの存在を知らなかった人々にまで、会社の名前を知らせることに成功しました。柄沢さんたちの目標は、ヤスリという伝統を後世に残すこと。工場に響く目立ての音が、未来へと歩む足音のように聞こえました。

<取材後記>
爪ヤスリを使ってみると、「磨く」というよりも「削る」という言葉のほうがしっくりきます。あまりにザクザクと削れるので最初は少し怖いほど。でも、仕上がりは驚くほどなめらか。もちろん指を傷つけるようなことはありません。実は「90代の職人がいる工場」として以前から噂に聞いていた〈柄沢ヤスリ〉。岡部さんという存在は確かに大きいですが、決して一人のスター職人だけが輝く工場ではありませんでした。社員のみなさんがそれぞれの持ち場で80年の伝統を受け継いでいるからこそ、今の〈柄沢ヤスリ〉がある。そう感じました。目立て作業も体験させてもらったのですが、かなり苦戦。驚くべき技術です。

有限会社 柄沢ヤスリ
〒959-1288 新潟県燕市燕598-5
電話:0256-63-4766


取材・文章・撮影:横田孝優(ザツダン)