佐渡市 新保基平
子供の幸せを願い、誕生や節句の祝いに贈られる「守り刀」。現代を代表する刀剣作家の一人である新保基平さんが生み出す刀は、一生を共にするにふさわしいだけでなく、世代を超えて家宝として受け継いでいくことができる名品です。刀鍛冶として半世紀以上。佐渡の刀匠はどんな道を歩んできたのでしょうか。
新保少年と刀の出会い
1941年、佐渡市生まれ。鍛冶職人の父は日本刀ではなく、包丁などの暮らしの道具を作っていました。小学5年生の頃、タンスの奥に見つけた古い日本刀が新保少年の心を鷲掴みにします。「父に聞くと、刀工・水心子正秀の秘伝書を貸してくれましてね。それを読めば刀のことは分かる、と。子供ですから、私には本の内容は理解できません。どうやら父もよく分からなかったようです」。近所に住んでいた漢学者や親戚の鍛冶職人、力になってくれそうな人を訪ねては秘伝書を読んでもらったり、刀について教わったりしました。
中学2年生の時、暗中模索ながらも刀作りに初挑戦。「玉鋼をどう扱えばいいかも分からない。とりあえず叩いてみたら、ボロボロに潰れてしまった。そこからのスタートでした」。本来であれば師匠から教えてもらうことも、自分だけで試行錯誤しながら身につけていく。その過程によって、新保さんは刀への愛情と理解をますます深めていきました。
出会いを重ね、刀工の道へ
独学で刀を作り続けてきた新保さんは17歳の時、後に「刀剣人物誌」を出版する文部省の辻本直男に自作の刀を見てもらい、「一人前」のお墨付きをもらいます。当時を振り返って新保さんは「焼き場の土は何がいいか、砥石はどうするか、今まで悩んできたことが混ざり合って、一気にひらめくような感覚がありました」。ブレイクスルーと同時に、磨きの職人や道具の職人など、多くの出会いに恵まれた時期でもあったそうです。
20歳の時、刀剣学者の佐藤寒山の紹介を受けて、人間国宝の宮入行平に入門。「とりあえずやってみなさい」と言われた新保さんが、たくさんある玉鋼からひとつを取り出すと「それでいいんだ!」と即座に認めてもらえたそうです。「玉鋼を選ぶことさえできれば、後の技術は見なくても分かるということなんでしょうね」。神は細部に宿る。職人としての実力も、たったひとつの工程の中で輝くものなのかもしれません。
今まで数百の刀を世に送り出してきた新保さんのこだわり。それは、お客さんに合う刀、そして自分が好きな刀しか作らないこと。全身全霊をかけて鋼を叩く時、頭の中には持ち主になる人の顔が浮かんでいるそうです。「これからも変わらず、楽しんでもらえる作品を生み出したい」と話す新保さん。70歳を過ぎてもなお、刀への情熱は変わることがありません。
いつか家宝になる作品を
新しい命の始まりに贈られる守り刀は、「希望が見える作品にしたい」と新保さんは語ります。「新しい刀には、過去や因縁がない。人生の門出にふさわしい品です。贈る人が託した願いに応えられる守り刀を作りますよ」。
子から孫へと受け継がれ、100年後・200年後まで家宝として大切にされる刀になってほしい。そんな願いが込められた新保さんの守り刀は、未来を照らすかのようにまばゆい輝きを放っています。
取材・文章・撮影:横田孝優(ザツダン)